すれ違いのアジフライ
感情が欠落したまま虚無の空間を覗いていた。
深夜のTwitter、タイムラインでの出来事であった。
そのころ入退院を繰り返していた。なにをしたところで上手くいかず、体調もすぐれずに鬱屈とした気分を抱えつづけた。所在地、出処ともに不明とした、のたうち回る感情の渦に心が浸され、夜もなかなか寝付けなくなっていた。
確か手術を終えたばかりだったと思う。やっと終わったのだという安堵といささかほどの希望の中に、この先どうなってしまうのだろうという不安と、味気ない日常の繰り返し。もう辟易していた。明日も新しい一日が始まったとして、別にどうとなくやり過ごすのだろう。むしろ朝日が劣等感を照らす恐怖の対象ですらあった。
病は気からとはよく言ったものだ。積み重なったフラストレーションの中では張り合いが抜け、なにを考えたところで気が滅入る。湿気たマッチのようにちょっとで良いのに燃え出さないし、別に何もないのにやり切れない。もはや感情と神経とがバラバラなのである。
なにも青い顔を伏せるほどではない。しかし、逆に本能的に羞恥と劣等感を隠すためともいえよう、日々肥大化していく傲慢さと卑屈さ。
ちくしょう浮き草のような人間になったものだ。卑屈すぎてどこの土にすら受け入れてもらえず、しまいには負け目がコケのようにこびりついている。それだけではあるまい、なんと根まで腐り切っているのである。おまけに愚図だ。いや、違う。自分はこんな人間じゃなかったはずだ。それなのに・・・
もつれ合った感激の最後に、あぁなるほどもしかするとエキセントリックな老害というのは、こうして誕生するのだろうと感じた。本来、土は時代ごとに新しいものへと変わっていくはずだ。残念ながらリサイクルなどされない。その新しい土をも受け入れられず、浮き草となり根までもが腐っていく。自分はまだ、世間一般的に見れば「老害」と呼ばれるに及ばない歳である。しかしどうやらその浮き草の正体が私らしい。
老害といえばそれにプラスして、老いさらばえた思考、 傲岸なアクの強さ、気の弱さを思わせる批判的言辞。それらはつくづく人の心を慮ることをせず、粗末に過ごしてきたであろう時間が、己に侵食した証である。そして新しい土に根付くどころか、菌をばらまくために加担する病害虫。これの正体が老害なのだ。
時代が繰り返す仕組みを一知半解で得意に理解できたつもりになった。自分のことを棚に上げ、こういう人って若いのにSNSにもよく居るんだよなぁと雑作なくTwitterをスクロールした。そのときの私はといえば、まったくもって意地汚い顔であっただろう。まるで動かないタイムライン。停滞した気持ちの中でなんとなしにやり過ごす私の日常のようである。
ついさっきまで、きっと無数の人々がしょうもなく気味の悪い承認欲求を、まるでお披露目会のようにせわしなくアピールし合っていたくせに。それはちっとも珍しいことではなく、多分に儀式的なものだ。なるほどくだらん。これじゃあまるで、決まりきった味気ない病院食のほうがいくぶんかマシだなと鼻で笑ったとき、一通の通知が届いた。
なんてことのない、いわゆる「FF外」からのいいねであった。つい今しがた他人の承認欲求を「しょうもなく気味が悪い」などと言ったくせに、いざ自分のツイートにいいねがつけられると気持ちが緩むものがある。しょせん自分だって承認欲求の塊なのだ。
しかれどもこの動かないタイムラインで同じ時間に、この同じく虚無の空間を覗いているという事実に、妙な仲間意識があった。「同じ穴のムジナ」とか「目くそ鼻くそ」とかいうネガティブな意識ではない。なにかこう、モノクロの残像の中に一点だけ色を足したような、粗雑に羅列した文字の中でそこだけがクリアーに交わっていることが、なんだかとてつもなく運命でロマンチックなこととさえ思えたのだ。
私は「こんばんは」の意味合いで、同じように相手のツイートにいいねを押した。すると間もなく、同じように再度のいいね。このやり取りを何往復繰り返しただろう。私はそっとフォローボタンを押した。するとまたもや同じく。「フォローしました」の通知であった。
私たちはそれからも何日も何か月も、「いいね」のやり取りだけで、言葉をしばらくのあいだ交わさなかった。いいねが来たらいいねを返すし。いいねをしたらいいねが返ってきた。そんな一見、事務的なやり取りではあったが、でもなぜかそこにはいつも特別な意識があった。少なくとも私はそう。
140字もしくはそれ以下で綴られた日常は、ユーモアかつどことなく稚純で、私はそれをいくつもいくつも指で追った。甘い空気を纏っていたかと思えば気だるさの中に露を宿し、夢のしたたりのような温かい言葉を連ねたと思えば、硬質なガラス細工のように繊細で、砕けども宝石のように光る美しい感性を紡いでいた。それらのつかみどころのない魅力はまるでプリズム的であり、見れば見るほどに不思議な人だと感じた。きっとそれはその人自身の懐具合を表したものなのだろうと容易に想像がついた。
それから何ヶ月たっただろうか。いつものように「いいね」のやり取りをしていると、ついにリプライが残された。そのときの言葉はこう。
「ブログの隠れファンです初めまして。
突き抜けた感性を
文学的文章力で綴る表現力の高さ
ドライな様で
ロマンチストの様な
相反する感じが人間的で
なんかこう
凄い感じで
あれですよ
あのー
凄い感じで
凄い好きです(語彙力)
では隠れファンなので隠れます。」
文字通り心臓が高鳴った。驚きで呼吸が狂い、喜びが照り出すように全身があつくなった。私もまったく同じことを相手に対して思っていたからだ。「ドライな様で ロマンチストの様な 相反する感じが人間的で」こう言ってもらえるならば私はこう表現した。「甘い空気を纏っていたかと思えば気だるさの中に露を宿し」これである。
粗雑で、だけど虚無的に歪んだ空間の中でたまたま交わったことが、運命とさえ思えていた。考えすぎといえばそれまでだが、でもこう、何だか名状しがたい何かがあったことは確かだった。理屈で語れない。つかみどころのない気持ちを自分で納得させるにはその事実だけで十二分であった。本能的な直感とはそういうものだ。
それから私たちは何度も何度もやり取りをするようになった。「ファンレター」と称し、DMでやり取りすることもたまにはあった。すごく嬉しかった。なにせ「いいね」のやり取りだけでゆっくり大事にしてきた関係だったのだから。しだいに私は相手のことをもっと知りたいと思うようになった。非常に自然なことだったと思う。
しかし踏み込めない何かがあった。ユーモアやバイタリティの中に時折見え隠れする、アンニュイさを帯びた雰囲気。それの正体が何かわからなかった。しかし過去になにかを抱えているのであろうことは確かだった。聞いてもよいものか、しかし・・・途端に自分がとても無粋な人間に思えた。強いて言うならば交差点を斜めに、強引に横断するような非情ささえ感じた。ここまできてうまく交われない、交差できない。それを現実でも象徴するようなエピソードが一つある。
それはいつだったか、初夏のことであったか、地元で有名な定食屋に昼飯を食べにいった。そこのアジフライが絶品で、迷わず写真におさめツイートしたのだ。すると間もなくして相手からリプライが届いた。そのリプライに私はまたもや呼吸が狂い、度を失った激しい興奮が感情を凝結させた。そのときのリプライがこう。
「素で変な声出ました
さっきそこでアジフライ定食食べてましたよ」
なんとそのリプライには私と同じような画像が添付されていた。しかも幼い頃から何度も通い詰めた行きつけの店であるから、その画像からどこの席に座ったのかさえ想像に容易かった。ほんの一時間か二時間ほどの差であったか、それなのにここまで来てもなおすれ違うのか。妙に残念な思いではあったが、それと同じくらいに妙に可笑しく思えて締まりのない口元で笑ってしまった。きっとこのすれ違いが私たちらしいのだろうな、と何だかくすぐったく思えてしまったのだ。
それからといえば、私たちの関係はいまだ鮮明に像を結ばない。だがそれで良い。性質を変えない関係は、ままごとのような愛よりももっと、慕情であるほうが美しいからである。
そして今夜もまたきっと、先刻まで確かに存在していたはずの人々が残像となりいくつも連なり始める。
もはやそれは客がいないのに稼働し続ける深夜の遊園地のようであり、鈍く流れ続けるそれは、静かで不気味だがとても落ち着くのだ。
モノクロの残像にハートで色をつけるとき、虚無と孤独が凝結されて心が潤う。
深夜のタイムライン。
あなたと、私だけ。
3000文字チャレンジ 今のところまとめ
「無機質な活字に命を吹き込もう!」をスローガンに掲げ、駄文を発信し続けている企画があります。
「3000文字チャレンジ」という企画なのですが、本来、孤高である野良ブロガーが活字を3000字まで積み上げて、それらを武器に文章でボコボコに殴り合うという企画で・・・したよね?
個人的には「枯れ木に花を咲かせましょう!」みたいな感じで、瀕死の野良ブロガーが死に水を取って生き返るような表現がとても好き。
さて今日も元気に「ここ掘れアンアン♡」している野良ブロガーの皆さん、いかがお過ごしでしょうか。
以下企画のルール、公式のツイートです↓
【告知】
— 3000文字チャレンジ公式アカウント (@challenge_3000) 2020年5月17日
「ハンバーグを文字だけで3000文字?」
「そう」
「なにそれ?意味がわかんない」
「でも、これが結構おもしろいのよ」
「そうなの?」
「これとか、読んでみて」
「えーッ、なにこれー!おもしろーい!」#3000文字チャレンジ 毎週木曜日に出題中! pic.twitter.com/KHRJcIZeBt
趣旨はこんな感じです。
わたしは元々初めましての「3000文字ハンバーグ」から参加させていただいたのですが、それからは少しだけで全然参加できていません。
しかしこのごろ、3000文字チャレンジって苦し紛れの駄文を投稿するには持ってこいな場所なのでは?と思い始めています。
もしスベったとしても、責任の所在ぜんぶぶん投げられるし。もはや企画ではなく実家感。
また帰るには(再び企画参加という意味で)良い機会だなと思い、これまで参加させていただいたお題を古い順から全てまとめてみました。
もしよろしければご一読いただけたら幸いです♡
【第1回 3000文字ハンバーグ】
ハンバーグと私って似てるなっていう感想文です。ちょっと食レポもあり。とある方に「最後まで読めなかった・・・」という感想をいただきました。エロ苦手な方は注意です。
【第6回 3000文字チョコレート】
タイムリーで切ない恋をしていたときのお話です。
【第7回 3000文字みかん】
悪女である母に学んだ「人をゆする方法」について書きました。主に婚活に適用可能かと思います。
machikono-kokoro.hatenablog.com
【第8回 3000文字月曜日】
ていうか酒飲みすぎ。
machikono-kokoro.hatenablog.com
【第52回 3000文字ゴール】
ゴールとスタートは同義であるという名目で無理矢理エントリー。大学院まで出させてもらったにも関わらず、風俗嬢になりたかった当時の葛藤を書きました。
machikono-kokoro.hatenablog.com
【第88回 3000文字海】
うつ病患者の成れの果て。
これからまた細々と参加させていただけたら良いなぁ、なんて思います。
運営のなかのさん、また戻ってこられるような場所を存続させてくださって、本当にありがとうございます。またお世話になりたく存じます。
というか参加が少ない私がここまで好き勝手言っても、何も言わずニコニコ笑って(たぶん)見守ってくださるなかのさんの懐の深さよ。いつもそう。
皆さん是非、なかのさんにはお世話になっておきましょう。
スピンオフ企画も始まったみたい。
何か書きたい。
— なかの (@nakano3000) 2020年5月14日
でも、
何を書こう?
そんな方はご利用ください。
【さんぜん文字チャレンジ】
毎週木曜日に出題中!
※本家3000文字チャレンジ@challenge_3000 も同時開催中! pic.twitter.com/DeKidJ4Xrr
お読みいただきありがとうございました!ではまた。
ありあまる地球意識の存在
油を多量に流した海のようだった。穏やかに、微動に揺れることもない。はたまた、うねりを帯び、ささくれ立つ波を風が散らすこともない。饐(す)えたように濁り、隙間なく張った油の膜で、心は重く閉ざされていく。
日々のやりきれない倦怠、莫大な水圧に耐える私の心は、外骨格生物のように硬く厚くなっていた。
6月某日。主治医に言われた言葉はこう。
「うつ病、酷くなってますね。そして躁(そう)になってます。お金使いすぎたり、怒りっぽかったりしませんか?」
確かにそうであった。元々は抑うつ状態が続いていたはずだ。激しい気分の落ち込み、朝日が昇る恐怖感や絶望感、不眠。それらがもう何か月も続いていた。
しかし状況が変わったのは主治医に薬の種類を増やされてからである。10日ほどしたある日から、あれだけ恐怖の対象であった朝日が、突如として心の暗闇を消し去ったのだ。
軽快な朝日を受け、私の心は毎朝 黄金色に輝いた。雨のどんよりした朝も、一滴の雨粒が心に波紋を描き、その巴は情緒を独占したものだった。
「わたしは今、確実にここに生きている。」普段は鈍く くぐもって聞こえた波の音が、突然どーんとしぶきをあげた。その正体は生命の波音、新生マチ子爆誕である。ザッバァァアアァァ〜〜〜アァアアンアンアン♡(無論、喘ぎ声ではない。ビッグウェーブである。)
どういうわけか無駄にありあまる地球意識を持ち始めた。あぁ、自分もこの地球(ほし)のメンバーなのだな、という使命感から「2021ブレスレット【新しい地球意識】」という極めて怪しいブレスレットを、極めてカジュアルに購入してしまったのである。24,000円でした。たぶん、まだ在庫あると思う。ヤフオクです。(企画上、リンクや画像の添付がだめみたい)
それを受け、主治医はいささかほどに複雑な笑みを浮かべた。(今思えば笑い堪えてたのかも。)
「それ返品できないんですかぁ?一旦、こう、地球から意識をそらしてみましょう。」
いきなり早口になり目も合わせてもらえず、「こいつマジ極まってるやべぇ奴」みたいな扱いだった。更には先ほどよりも早口で「地球のことは忘れましょう。うん、うん、それが良い。」と、主治医はその考えが非常に名案であり、むしろそれしかないであろうといったふうに、自身の言葉に自身で頷いていた。
それを目の当たりにし、「ちょwwwwwwおまwwwwwwそのような勘所を早口で唐突に申すとは実に軽薄でござりますぞwwwwww」と言いたいのを堪え、こう答えた。
「えぇ、まったくですね。」
もちろん二の句を継げる余裕などない。忘却とは生きる知恵であるからに。
近頃の若者の多くは「青い鳥症候群」と呼ばれるものに罹患しているらしい。モーリス・メーテルリンクの書いた童話「青い鳥」が語源となっており、理想と現実のギャップにフラストレーションを抱え、根拠もなく次から次へと新しい理想や夢、幸せを追い求めてしまいがちな人を指す、通俗的な呼称である。
この「青い鳥」といえば、ある貧しい木こり家庭の「チルチル・ミチル」という、とても対極的である2人の兄弟で有名な童話であるが、ご存知の方も多いのではないだろうか。
この場合における対極的な2人とは、片や「チル(散る)」に対し、片や「ミチル(満ちる)」という、プラマイゼロを体現したような兄弟のこと。さらにミチル(満ちる)に対しチル(散る)は「散る散る」と「✕2」しちゃってるところから、「プラマイゼロ、むしろマイ」などといった、互いの関係が露骨に不利に働く、まるで売り時を間違えた不動産のような兄弟のお話である。
従って今日日 世界における幸せの定義とは、もしかすると「プラマイゼロ、むしろマイ」などといったふうに、「つらいときこそが幸せである」というドM理論が適用されているのであろう。
そんなドMたちがこぞって罹患する「青い鳥症候群」、どうやら何と私もそこのメンバーであるらしい。自分の思い描く理想と現実とのギャップに苦しみ、空虚な気分や無気力感、不安感に襲われていた時期があったからだ。そしてこの「青い鳥症候群」とうつ病が密接した関係にあることを、私は知っていた。
さて私の場合、大局的に見て主な所属が地球であるのなら、「青い鳥症候群」はサブであろう。かつてのモーニング娘。改め、ハロプロシャッフルユニットのようである。確か「あか組4」とか「青色7」とか「黄色5」とか、合成着色料のような女の集団であったのは記憶に定か。なるほど、私はこの日をもって地球のメンバー改め、青色添加物アイドルとなったわけである。それに地球のメンバー、青い鳥症候群のメンバー、1人2役とは私も甚だエコノミックな人間になったものだ。ともすればユニット名は「エコノミック・ピーポー青1」(1人なので)が妥当であろう。ここまでくると二重人格のあれである。どうしてこのようになってしまったのだろう。教えてください、ねえねえ、あなた。
それからInstagramのストーリーには、ほぼ毎日かわりばえのない自撮りの画像に「おはようございます♡みなさん今日もニコニコ頑張りましょ♡」という決まり文句が添えられた。手前、僭越ながらアイドルなので。
朝の気分はもちろん「おはよう」、「Good morning」なんてものではない。「The start of a party!(パーティーの始まり!)」だ。まったくおめでたい話である。手前、僭越ながらアイドルなので。
これまでの口癖が「くっそしんど」だった女が、毎朝せっせとスマホに笑みを向け、使い慣れないカメラアプリに苦戦しながらも一心不乱に青い鳥を追いかけた。
鍵付きの極めてプライベート性の高いアカウント(しかもフォロワー数若干35名程)から発せられる「みなさん」という三人称を用いたシャウトは、売れないアイドルが飛躍を夢見て、つい「アリーーーーーナァァァァアアアアアアァァxッァァxxッァァァxxxxxxxxxーーーーーーーー~~~~ッッッッxxxxx!!」とか言ってみちゃったアレのようであり、今更ながら非常に羞恥にまみれている。幼稚園児のお遊戯会でもまだ観客が多いであろう。誠に遺憾である。鍵付きアリーナのみなさん、その節はお付き合いいただき本当にありがとうございました。
そして躁状態が少し良くなってきたころからの決まり文句は「おはようございます♡今日もゆるゆる頑張りましょ♡」(無論、股の話ではない。手前の頭の話でもない。)
全く躁でなくなった今はもう、朝の挨拶など無しである。くっそめんど。しかしながらこれが通常運転なのだ。手前、アイドルじゃなかったみたい。これからもどうぞよろしく!
ところで先日の通院帰り、病院近くのデパートで溶岩の3連ブレスレットをこれまた極めてカジュアルに購入しそうになったところ、連れに止められた。例え固結したとしても、マグマは地球に生きるものからすれば情熱の証であると思ったのだが、こればかりは仕方ない。この地球(ほし)とは、モノではなくココロで繋がり合うべきなのである。我々地球のメンバーは、まずは自然との繋がり方を学ぶべきなのだ。ソウル!パッション!!その為には自我の没却こそが全てである。地球に心臓を捧げよ!
もちろん今の気分は金色に映えた常夏の海。私は私に、出来るかぎりのことをしてやろうと思っている。月が沈めば日が昇るのである。頑張って病気治すぞッ!!ザッバァァアアァァ〜〜〜アァアアンアンアン♡(地球を忘れることを忘れている)
「尻の拭き方が間違っている」なんて物心ついてから初めて言われたわよ
セカンドバージンっていうのは一体、何をもって定義づけられているのだろうね?調べてみてもいまいちピンとくるものはないし、「1~2年以上セックスしていなければ~」と言われても、そんなこと余計なお世話だよ、などと妙な苛立ちを覚えてしまう。
性欲の性質に個人差はあれど、一年もセックスが出来ないという状況を赤の他人(しかも画面越しの)に一言で片付けられてしまうのは、いかがなものか。
確かに今はあらゆる事象に「名前」がつけれられるということが大きな意味を持つし、それによって人間のもつグループ所属欲求が満たされることも理解している。
自分が今どのような状況なのか、名前だけでもわかれば今後の方針が決まるだろうし、大抵の人は自分と同じ状況の人がいるという事実だけで安心できる心理がある。
だからそれを「余計なお世話」などと思えてしまうのは、自分が当事者ではないからなのだろうね。スミマセン、お盛んで・・・
しかしかく言う私も、昨年の夏はセックスをしなかった。厳密な期間としては3か月くらい開いていた。そんなこと処女以来初だったのではないだろうか。
セックスの「セ」の字すら自分の中から消えていた、、くそぅ、あんなにヤリマンだったのに・・・!
とにかく、気が付いたら夏が終わっていた。(何がとにかくだよ・・・)
さて、なぜ年始にもなって昨年の話題から入るのかというと、前回ブログを更新したのが昨年の夏だったからである。
そのときには、「ブログもそろそろ、もうちょっとコンスタントにやっていこうか」なんて思っていたのだけれど、今日になって「じゃあコンスタントにブログでも書きましょうかね」なんて思い管理画面に行ったら、最終更新日がなんと7月の30日であった。思いもよらぬスピードで年が明けてしまった。それにしたってあっという間すぎるよ。
昨年は夏頃から仕事で忙しくしており、とても充実していた反面、色んなチャレンジの時期であった。その結果、自分としては人生の転機ともいえる結果を残せたように思う。
生きとし生ける者としての欲を全て仕事に捧げた成果としては、便器に落とされた糞を愛でる間もなく無慈悲に流せるようになりました。
たまにTwitterに遊びに行くと、都度温かく迎えてもらえてとても嬉しかった。ありがとうございました。
ちなみに「処女以来初」って何だかアタラシイですね。処女以来初閉経未満、というのが今のアタクシの現状でございます。何だか中国語みたいですネ。
話を戻します。
とにかく最近思うことは、ある程度年齢を重ねたところで、「セカンドバージン」なんて言葉を安易に使うような女にはなりたくないということ。
願わくば生涯現役でありたいし、「セカンド」なんて言うくらいならば、その時はもう、潔く次のステージに行きたいといった意気込みである。(※当方、鼻の穴とアナルは処女です)
しかしながら端的に言うと、バージンを過ぎた頃(ちんぽの大きさが理解できた頃)から、鼻の穴にちんぽはどうしても入るまいという認識のもとに生きておりまして、ゆえに私がバージンをもう一度どなたかに捧げるとなると、アナルしかないのが現状。
とはいえ実のところ、今現在わたくしのアナルが負傷中につきまして、文字通り不便をいたしております。
つまりなんていうか、糞が不自由なのである。これがもう、いてーのなんのって。せっかくアナルはバージンなのに・・・クソぅ。
まさに現在進行形で便意が来ることに恐怖心を抱いているし、それに伴い無意識に糞を我慢する癖がついてしまい、慢性的な便秘に悩まされている。
更に一つ憂慮しなければならないことがあるのだが、着用下着が万年Tバックであるということ。これが、屈んだりしてTバックがアナルに少しでもギューンとなる度に、悶えるのである。悶えるハメになるのである。
少しばかりわかりやすく言うと、アナルとTバックのギューンのところが多くの時間、摩擦状態にある。つまりそれはもう、遂に南海トラフが来るんじゃねえのかってくらいの活発さで、いつ何時も絶えずプレート運動しているのである。その度に私は悶え小刻みに揺れているため、これは事実上の南海トラフもとい、難便(なんべん)トラブルと言ってよい。
更に詳しく言うと、アナルとギューンの摩擦運動は便意に直結しており、アナルがギューンにより刺激されると、必然的に硬いブツ(便秘糞の歪曲表現の一つ)を不自由なアナルから捻り落とさなければならないことになる。
そんな訳で難便トラブルの解消法としては、まず重力の法則に従い身体を正しく起こし、次に直腸に外圧をかける。手順としてはこの次に、いきむ・踏ん張る・唸る、である。ウ~ン・・・!
しかしながら難便トラブルを抱えたブツ(便秘糞の歪曲表現の一つ)は、出口付近(人によっては入り口)でカチコチに固まっているため、何度も繰り返し繰り返し解消法を行う必要がある。幾多の努力の上に「生み」があるのである。
初心者においては頑張りも虚しく、挫折の末に便意喪失となることも念頭に置いておかなければならないであろう。
この一連の行為は生みの苦しみに似通ったものがあり、私は毎度、難便トラブルにより全くもって不本意な事績を成し遂げなければならないのである。
ちなみにこの難便トラブル解消法における、一連の「ギューン!ウ~ン・・・!そいや!(生み、または喪失)」というのは「ドMソナタ 第7番 糞詰まりの輪舞曲(ふんづまりのロンド)」といってテストに出ます。
しかしまぁ、座っているときでも立って活動しているときでも、いつでも無条件にアナルが痛い。どうしてこんなに痛いのか。思い返してみても、ある日突然だったから心当たりなんてないのである。
これはいよいよ痔か?病院か?と思い、ドM、年明け早々調べました。
そして最終的に、一番合点がいった答えがこれ。
思い返してみると、近頃はブツ(糞の歪曲・・・)の「キレ」が非常に悪い。未練がましくアナルにこびり付き、ブツ(歪曲・・・)の拭き方が少しでも甘いと、冗談抜きでTバッグのギューンのところに残り糞が付着しやすいのである。
体質なのか何なのか、ウォシュレットを用いても、もうトイレットペーパーにブツ(歪)は付いてないなと目視しても、次に用を足すときに見ると、何故かTバッグのギューンのところに残り糞がカムバックしているのである。それは誠に鮮やかな栗色にございます。
更には時間の問題ではないということが実証済み。仮にアナルとギューンの摩擦運動があまりに長時間だというならば、わからんこともない。しかし5分後くらいにギューンを見るといるのである・・・ブツ(y)が。
わかりやすく例を使って解説してみるが、例えば糞(ブツの居直り表現の一つ)と「だるまさんがころんだ」で勝負してみるとする。
すると「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだっ!」というだるまコールを、私がいくら早口で言えども、私の糞は私のギューンを確実にタッチしてくるのである。
何なら「はじめの一歩!」からギュンギュンに距離を詰めてくる始末。それはもう一歩という概念を超えはじめ、もはや立ち幅跳びとかなのである。糞の一歩、まじアナどルなかれ。
そんなときに出来ることといえば、ムキになってアナルをゴシゴシ拭きまくることのみ。そして仕上げにウォシュレットを使用すると、必ずといって良いほど便座の後方に水が飛び散り、ビチャビチャになるのが常。もう散々である。
しかしながら悲劇もここまで。糞の終わりに、トイレットペーパー片手にごしごしアナルと便座を拭き、何度も何度も手を往復させるサマ。もはやそれは、DJ マチ子、爆誕の瞬間なのである。プチョヘンザっ!(put your hands up!)ではない。拭こ便座っ!の方である。
糞のたびに狭い個室はたちまちパーティー会場に、便座はやや穴ぼこのあいたターンテーブルかの如くスクラッチ!
そしてキレの悪い糞は、切れ間のないDJミックスとして再現可能。DJ マチ子は0.5坪プレイヤーの名を欲しいままに、今宵、前座でだるまが転んでいる隙に、便座でワンマンライブが成功するのである。ヘイ、ホーォ!
しかしながらここまで書いて思うのだけど、残り糞がカムバックしているのではなく、もしかすると私が糞を漏らしているのかもしれないなって。
そう思う奴はプチョヘンザっ!である。無駄に韻、踏んでみました。
今年もよろしく!(今年はもうちょっと更新したい!)
色々と家が限界を迎えている
元々物持ちが良い方なので、物を捨てるという概念があまりない。
デスクの上は散ざっぱらに散らかっているが、無駄な買い物をする習慣もないので部屋全体はわりと「がらん」としている。
それがとても気に入っていて、元々マメな性格でも、几帳面な性格でもない為に、不精な私でも掃除がしやすく生活スタイルを保ちやすい。
文字通りに「がらん」としているので、部屋の清潔具合によって心が乱れることもないし、逆に心が整うこともない。精神的に左右されることがないのが利点である。
ただ最近は色々と不便を抱えるようになってきており、これまで感じたことのない不満でいささかほどに暗澹(あんたん)となりまさる、は言い過ぎだけれど、まぁくさくさするんですよ。とにかく気が。
どういうことかと言うと、冒頭で述べたように、物を捨てる概念があまりないんです。
カッコ悪く言うと、とにかく物が捨てられませぇん!!というと、ゴミ屋敷を想像する方もおられるかとは思いますが、前述の通りに部屋は「がらん」。
「は?」って言わないでね。こういうことです。
どん!
割れた洗面器、ね。アクリル製なのでヒビが入ってから割れるまでが、まぁ早かった。ビックリ。
こういうのが捨てられないんです。
貧乏性というかケチというか、仕事道具は別として、元々使い慣れたものを新調するというのが未だに慣れないんですね。
寂しいじゃない。最初は気に入って買ったのに、ちょっと古くなってきたりちょっとガタがきたからって、すぐにコロコロ変えるの、どっかのヤリマンみたいじゃん。(※諸刃の剣ではありません)
これだって割れてるけれども、まだまだお湯汲めるでしょう。
割れているから少々の危険性はあれど、こんなの排卵日の中出しに比べたら生ぬるい!とわたくしの卵子が申し上げております。
これもね、セットで購入したバスチェアーもあったのですよ。でもいつしかそちらも割れ始め。
いや、でもまだ座れるし、と思って使っていたのですが、ある日突然わたくしのセクシーおまんこのビラビラ(小陰唇)が割れ目に引っ掛かりまして、とても痛い思いをした為、これは選手生命にかかわるわよ・・・!と泣く泣く処分した次第でございます・・・
さて突然ではございますが、割れた洗面器と引っ掛かったセクシーおまんこと解きます。その心は、、
どちらも割れ目があるでしょう~!!
ってうるせぇわ。
でね、次にね、何が捨てられないかというと、ソファです。
ソファもね、実はこんなんなるまで使ってます。
このソファもね、色々と思い入れがありすぎるんですよ。
一時期ハマってたんです。
このソファで寝てる男の子にね、「寝顔が可愛い・・・」なんて理由でちょっかいかけてね、まずはキスするでしょ。そんで起きないことをいいことに首筋舐めるでしょう。
で、そこでやっと「ん~・・・」とか何とか言うんだけど、やっぱり起きないわけです。
そこまでして起きなかったら、もうやることと言えば必殺乳首舐めしかないわけじゃないですか。
だからペロペロって乳首を舐めるわけなんです。いや、ベロンベロンか。
で、そこでようやく「わぁ、何やってるんですかぁ!」とか言って起きるんだけど、何となく男の子もまんざらでもない感じでね。
つーかノコノコ着いてきて家にまで上がっといて、今更嫌がるとかお前童貞じゃねえんだからわかってるよな?みたいな感じで次、全身リップいきます。
上も下も服脱がせて、でも焦らしに焦らしまくってパンツだけ脱がせなかったりしてね。
「くすぐったい~///」とか言われながらも脇舐めるでしょ、ていうか全身リップですから脇だけじゃなくもうベロンベロン舐めまくるわけです。
内ももからきて足の指、そしてパンツの上から、あたしゃたんぽぽの綿毛かっつーくらいふわふわ~ってね、そっと優しく素股しながら男の子の手の指舐めてね。
もうこの瞬間の私、名脇役女優。
「エリカが例えてあげる。エリカが薔薇の花なら~」とかいうマウントも「へい喜んで!」っつーくらい、たぶん私以上にプライド捨ててたんぽぽの綿毛になりきれる女なんてそういないと思います。
そしてパンツの染みを目視後、いよいよちんぽこご対面~!!
心の中では
「ひっ・・・・・!ギンギンに勃ってやがる・・・・・!あ・・・・ありがてえっ・・・・・・!」
といったように圧倒的感謝っ・・・・・!の極みでございます。
そしてここでもまだ焦らします。
鼠蹊部(コマネチライン)を舐めまわし、触れるか触れぬかのところでいよいよタマタマインザマウス!!でございます。
無論その瞬間、わたくしのマタマタも玄界灘に荒波が寄せるが如く、ある種の汁が溢れ出ておりまして、いよいよ限界。
本来ならば「くぱぁ」したい次第なのでありますが、
耐えるっ・・・・・・・・!圧倒的忍耐っ・・・!ここからがっ・・・!本番っ・・・・・!
そしてタマタマに名残惜しく別れを告げ、次は☆URASUJI☆を刺激します。
とにかくっ・・・・!フェラチオッ・・・・・・・!!
「あ、そういえばアナルも舐めたいなぁ。まぁアナルはおかわりに取っておくかぁ。」
なんて思いながら、
とにかくっ・・・・!フェラチオッ・・・・・・・!!
そしてお口いっぱいに出されたザーメンを男の子の顔の前でベーって手のひらに出してみせてね。
「見て見て、いっぱい出たね(はあと)」なんて言ってね、もう照れた顔がかわうぃーーーー!!!!
(* ॑꒳ ॑*)
それから「ねぇねぇ、どうする?もう一回する?」ってとこで私も
「もう我慢できなうぃぃいいいぃぃぃいいフィニーーーーーッシュ!!!」
・・・こうして私のセクシーおまんこから吹かれた潮は、大海原を越える渡り鳥のように遥か彼方へ放たれたのである。
ー完ー
っていうオナニー、このソファの上で何回したか覚えてないくらい。
うん。もう捨てようね、ソファ。立派に職責果たしたよ。
尚、このソファの壊れ具合とわたくしのオナニーの強烈度は全くの無関係でございますことを、今一つご留意いただきたい次第でございます。
今後についてのお知らせ
皆様、いつもお世話になっております。今日はお知らせをいくつか。ご一読いただければと存じます。
【名前変更のお知らせ】
拝啓
新緑の候 皆様におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます。平素は格別のご高配を賜り厚く御礼申し上げます。
さて、この度わたくしミドリは本日より「マチ子・ジパング」に名前を変更致しました。(こんなかしこまった文なのに、割とふざけてる名前でごめんなさい。)
今後とも一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。
まずは略儀ながら文中をもちましてご挨拶申し上げます。
なお、ブログタイトル、今後のブログ内容(路線)、3サイズ、性的趣向等の変更はございません。
敬具
そして上記内容に伴いまして、かねてより運営してまいりましたブログを公開いたしたく存じます。
ブログタイトルは「ポップに心を削られて」。
machikono-kokoro.hatenablog.com
こちらのブログは一切の「エロ要素」無しで運営いたしておりまして、エロ以外書いたことの無い自分が、純粋に文章を書いてみたらどんなものが書けるのだろうか?という疑問から開設したブログです。主に日記を綴っております。
少しずつ記事を公開していく所存でございますので、お手隙の際に是非ご一読いただけましたら幸甚に存じます。
ここまでお読みくださいまして、ありがとうございました。
さて、ここで今回の名前変更について理由を申し上げたいと思います。
まず、わりと初期の頃から「某〇〇で働いていたミドリちゃんですか?」というDMを、そこまで頻繁ではないながらも定期的にいただくことがありまして、その対応に限界を感じたというのが一つ。
都度対応いたしておりましたが、名前の変更に基づきDMの閉鎖、そして今後はこのような問い合わせには一切応じないことと致します。
そしてこの「マチ子・ジパング」という名前ですが、元来私のもう一つのアカウントで使用していた名前でございまして、この度アカウントを統合することと致しました。
日本大好きな私らしい名前かなと、そう思っております。(にも関わらずフザケタ名前ですみません。)故に、あくまで前向きな諸々の変更でございます。
なお、これまで同様「ミドリ」、あるいは「マチ子」、そして一部の方には「マチドリさん」と呼んでいただいていることもありまして、どれで呼んでいただいても全く差支えございません。
そしてブログアイコン、その他各種SNSで使用しておりますアイコンについても「ミドリ」という名前が入っておりますが、このアイコンに限りイラストレーターさんとの思い入れのある作品でございます故、引き続き使用していこうという次第でございます。
ご不便をおかけすると存じますが、今後とも何卒よろしくお願いいたします。
マチ子
☆☆☆ミドリの写メ~ル日記だニャンニャン☆☆☆
先日荷物を片付けているときに、昔使用していたスマホが出てきたのですよ。
充電してから電源を入れてみると、現役時代にせっせと投稿していた「写メール日記」の下書きが大量に出てきました。
読んでみると、わりと自分自身忘れかけていたことがあったりしたので、今日はそれを載せてみたいと思います。(私の源氏名の部分のみ変更してあります。)
ネタ切れたから、とかじゃないからね(震)
現役時代コツコツ書いてた写メール日記の下書きが、大量に出てきてワロたの。
— ミドリ (@midomidoxxxx) 2019年4月9日
当時みんな「今日は来てくれてありがと〜キャピ〜♡」みたいなのを、私一人「では、明日も共に参りましょう。ご機嫌よう。」みたいな感じだったからクソ恥ずかしかったな(笑)
当時からキャピキャピしたのは書けないのですよ
上記の理由から、お客様界隈では「可愛くねえ高飛車な女」と、某掲示板では頻繁に言われておりました。うるせえよ(笑)
やはりねえ、キャピキャピキャンキャンした、ちょっとアレな女の方が、男性には好かれやすいですよ。風俗なら尚更。
当時そういうちょっとアレな女が書いた「今日は来てくれてありがとニャンニャン」とかいう写メール日記を見て、私の頭は三点リーダ。
「これを活字にする女が実在すんのかよ・・・」と思っとりました。
経験上、すぐ動物になりたがるオンナっていうのは総じてちょっとアレなんですよ。
かくいう私。ちょっとアレな女とそれを指名するお客様を見ては、毎度「見事な目糞鼻糞じゃねえかよwwwww」と鼻で笑っておりましたの。「糞(ふん)ッ」ってね。(うるせえよ)
ちなみに「写メール日記」というのは、名前の通り風俗嬢の方々が画像を添付した日記になります。
それ、普通に「ブログ」じゃ駄目なん・・・?ていつも思ってた。
大体「写メール」というのは、カメラ付き携帯電話で撮影した画像を「電子メールに添付して送信する」サービスなのであって、それを添付してインターネット上にアップロードする日記というのは「ブログ」っつーんですよ。
これを「写メール日記」という名前で行こうってハンコ押した上司、絶対お酒飲んでたでしょ。
では行きましょう。
*(←アナルではありません。改行の印です。)
20〇〇.08.12
皆さま、ごきげんよう。ミドリです。
毎日暑くてかなわないわね。
熱中症など、くれぐれもお気を付けくださいましね。
さて、今日のテーマは「自分の変態性欲を認められない場合、どうしたら良いか?」についてです。
ま、いやらしいお話やエッチなお話は今後いくらでも出てまいりますから、たまにはちょっと真面目なお話をね。
なかなか理解されづらい、フェティシュについての葛藤ですね。
実はこれ、結構お問い合わせいただくんですよ?意外でしょう。
私自身、マジョリティなセックスも十分に楽しめる女ですけれども、皆さん周知のとおり、アブノーマルかつマイノリティな「変態性欲」を持っていますね。
ですから私も、その方面では変態としてそれなりに一種の抑圧のもと、実に悩んだ青春時代を過ごしてまいりました。
それなのにこの期に及んで、フェティシズムって素晴らしいなぁなんて思ってしまうのは、やはり私が変態でどうしようもないからなのでしょうか?
思うのは、性的フェティシズムというのは「大人の甘美的な趣味」であるということ。
そのフェティシズムがどこにあるのかによって、セックスやプレイの趣向が大きく変わってきてしまうくらい、繊細で奥深いものだと思うのです。
これでもある種、変態性欲を持っていて良かったなぁなんて思うときもあるのですよ。
マジョリティでは感じ得ない高揚感、未知なる快感・・・その秘密をパートナーと共有できると思うだけで、とっても興奮してどうしようもなくなるのです。
貴方の心を丸裸にし、貴方が自分でも知らない快感、フェティシズムを、私が探り当ててみたい。
そんなことを考えていると、本当はお客様とこんにちはした瞬間からベッドに押し倒し、服を脱がせ、シャワーも浴びずに一番いやらしい所を舐めたいなぁなんて思ってドキドキしてしまうのですが・・・
それでもしっかり欲望を抑え、冷静にお仕事をしているのだから、私ってやはりお利口さんではないでしょうか。
イソジンやグリンスも、絶対に欠かしませんしね。
でも本当はお客様にご挨拶した瞬間から、私の頭の中は卑猥な妄想ばかりで「我慢が出来ない。」そう思いながら、ジリジリと貴方のことを狙っているのですよ。気を付けてくださいね。
あぁ、やっぱり私って偉い・・・これだけ熱にほだされていても、私に突如として襲われたお客様なんていないのだから、やはり仕事熱心でお利口でしょう。どうです?
さて、私はどんなに慣れ親しんだお客様とでも、2人の時間の始まりには必ず「握手」をしてから始めることにしているのですよ。
握手って何だかとってもエッチですよね。
手と手を繋ぎあわせるという行為は肌と肌を重ねる最も初歩的な段階であって、これからどんな時間になるのか、そんな風に想像すらしてしまうほどにプラトニックでしょう。
私にとっては握手をした段階から、オリジナルの時間が既に始まっているのですよ。
でも私ね、いつも思うのだけど、私の所にいらっしゃるお客様達は、ちょっと真面目で少々お堅い方が多すぎると思うの。
私がして欲しかったり、私に言われたことを何でもこなそうとしてくれる姿は本当に可愛らしいものであるのだけど、これでも時折、もうちょっと情緒が欲しくなるときがあるのですよ。
端的に申し上げると、そりゃあ何でも言う事を聞くお馬鹿さんって可愛いのだけど・・・
皆さん、私にお仕置きされると思っていらっしゃるのでしょうか?
ここでお仕置きの定義を示したいのだけど、私の中でのお仕置きというのは、必ず「快楽」を伴うものなのです。
ですから、お仕置きが貴方にとっての「苦痛」になってしまった時点で、私の中ではNGなのですよ。
だから貴方がどんなにお馬鹿さんでも、私は嫌がることだけは絶対にしないので安心してくださいね。
いつも頑張っている貴方。お仕事でミスをしないように気を配ったり、本当に毎日お疲れ様でしょう?
私の前ではいつもお馬鹿さんでいても良いのですよ。むしろ、そんな貴方を望んでいるふしもあるのです。
ちょっぴり話が逸れてしまいましたね。
なかなか理解されづらいフェティシュについては偏見もありますが、まずは、メディアが作り出す偏見というものは一旦置いておきまして、好きなように、自由に、貴方の変態性欲を楽しみましょうよ。
私の目指すアブノーマル、思う変態性欲とは、「甘美なフェティシズム」なのです。
貴方の胸に秘めた、熱い思い、本当の願いを叶えるお手伝いが出来たなら・・・そう思っているのですよ。
行きつく先は、心も身体も満たされていく。そんな「大人の官能的な趣味、ファンタジー」であったら良いなと感じております。
ですから、どうか怖がらないでお手伝いさせてくださいね。
ということで、この週末は私に存分に愛されてみるのも、大変結構かと思いますよ。
土曜も出勤しておりますしね。
ではお客様各位、本日も大変お世話になりました。
あなたの身体と愛を私に預けてくださって、本当にありがとうございます。
業は深くありたい。そしてもっとあなたを愛したい。
明日もたっぷりと愛し合い、共に参りましょう。また。
*(←今度こそアナルです。)
改めて読むと恥ずかしい。
ドSか?という内容でございますが、当時は至ってドMでございました。アホなんかな。
これを書いたのは大学3年のとき。今とそんなに思ってること、考えてることが変わってなくて、ある意味安心しました。
お読みくださってありがとうございます。では、また。