みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

「尻の拭き方が間違っている」なんて物心ついてから初めて言われたわよ

セカンドバージンっていうのは一体、何をもって定義づけられているのだろうね?調べてみてもいまいちピンとくるものはないし、「1~2年以上セックスしていなければ~」と言われても、そんなこと余計なお世話だよ、などと妙な苛立ちを覚えてしまう。

性欲の性質に個人差はあれど、一年もセックスが出来ないという状況を赤の他人(しかも画面越しの)に一言で片付けられてしまうのは、いかがなものか。

確かに今はあらゆる事象に「名前」がつけれられるということが大きな意味を持つし、それによって人間のもつグループ所属欲求が満たされることも理解している。

自分が今どのような状況なのか、名前だけでもわかれば今後の方針が決まるだろうし、大抵の人は自分と同じ状況の人がいるという事実だけで安心できる心理がある。

だからそれを「余計なお世話」などと思えてしまうのは、自分が当事者ではないからなのだろうね。スミマセン、お盛んで・・・

しかしかく言う私も、昨年の夏はセックスをしなかった。厳密な期間としては3か月くらい開いていた。そんなこと処女以来初だったのではないだろうか。

セックスの「セ」の字すら自分の中から消えていた、、くそぅ、あんなにヤリマンだったのに・・・!

とにかく、気が付いたら夏が終わっていた。(何がとにかくだよ・・・)

さて、なぜ年始にもなって昨年の話題から入るのかというと、前回ブログを更新したのが昨年の夏だったからである。

そのときには、「ブログもそろそろ、もうちょっとコンスタントにやっていこうか」なんて思っていたのだけれど、今日になって「じゃあコンスタントにブログでも書きましょうかね」なんて思い管理画面に行ったら、最終更新日がなんと7月の30日であった。思いもよらぬスピードで年が明けてしまった。それにしたってあっという間すぎるよ。

昨年は夏頃から仕事で忙しくしており、とても充実していた反面、色んなチャレンジの時期であった。その結果、自分としては人生の転機ともいえる結果を残せたように思う。

生きとし生ける者としての欲を全て仕事に捧げた成果としては、便器に落とされた糞を愛でる間もなく無慈悲に流せるようになりました。

たまにTwitterに遊びに行くと、都度温かく迎えてもらえてとても嬉しかった。ありがとうございました。

ちなみに「処女以来初」って何だかアタラシイですね。処女以来初閉経未満、というのが今のアタクシの現状でございます。何だか中国語みたいですネ。

話を戻します。

とにかく最近思うことは、ある程度年齢を重ねたところで、「セカンドバージン」なんて言葉を安易に使うような女にはなりたくないということ。

願わくば生涯現役でありたいし、「セカンド」なんて言うくらいならば、その時はもう、潔く次のステージに行きたいといった意気込みである。(※当方、鼻の穴とアナルは処女です)

しかしながら端的に言うと、バージンを過ぎた頃(ちんぽの大きさが理解できた頃)から、鼻の穴にちんぽはどうしても入るまいという認識のもとに生きておりまして、ゆえに私がバージンをもう一度どなたかに捧げるとなると、アナルしかないのが現状。

とはいえ実のところ、今現在わたくしのアナルが負傷中につきまして、文字通り不便をいたしております。

つまりなんていうか、糞が不自由なのである。これがもう、いてーのなんのって。せっかくアナルはバージンなのに・・・クソぅ。

まさに現在進行形で便意が来ることに恐怖心を抱いているし、それに伴い無意識に糞を我慢する癖がついてしまい、慢性的な便秘に悩まされている。

更に一つ憂慮しなければならないことがあるのだが、着用下着が万年Tバックであるということ。これが、屈んだりしてTバックがアナルに少しでもギューンとなる度に、悶えるのである。悶えるハメになるのである。

少しばかりわかりやすく言うと、アナルとTバックのギューンのところが多くの時間、摩擦状態にある。つまりそれはもう、遂に南海トラフが来るんじゃねえのかってくらいの活発さで、いつ何時も絶えずプレート運動しているのである。その度に私は悶え小刻みに揺れているため、これは事実上の南海トラフもとい、難便(なんべん)トラブルと言ってよい。

更に詳しく言うと、アナルとギューンの摩擦運動は便意に直結しており、アナルがギューンにより刺激されると、必然的に硬いブツ(便秘糞の歪曲表現の一つ)を不自由なアナルから捻り落とさなければならないことになる。

そんな訳で難便トラブルの解消法としては、まず重力の法則に従い身体を正しく起こし、次に直腸に外圧をかける。手順としてはこの次に、いきむ・踏ん張る・唸る、である。ウ~ン・・・!

しかしながら難便トラブルを抱えたブツ(便秘糞の歪曲表現の一つ)は、出口付近(人によっては入り口)でカチコチに固まっているため、何度も繰り返し繰り返し解消法を行う必要がある。幾多の努力の上に「生み」があるのである。

初心者においては頑張りも虚しく、挫折の末に便意喪失となることも念頭に置いておかなければならないであろう。

この一連の行為は生みの苦しみに似通ったものがあり、私は毎度、難便トラブルにより全くもって不本意な事績を成し遂げなければならないのである。

ちなみにこの難便トラブル解消法における、一連の「ギューン!ウ~ン・・・!そいや!(生み、または喪失)」というのは「ドMソナタ 第7番 糞詰まりの輪舞曲(ふんづまりのロンド)」といってテストに出ます。

しかしまぁ、座っているときでも立って活動しているときでも、いつでも無条件にアナルが痛い。どうしてこんなに痛いのか。思い返してみても、ある日突然だったから心当たりなんてないのである。

これはいよいよ痔か?病院か?と思い、ドM、年明け早々調べました。

そして最終的に、一番合点がいった答えがこれ。

 

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思い返してみると、近頃はブツ(糞の歪曲・・・)の「キレ」が非常に悪い。未練がましくアナルにこびり付き、ブツ(歪曲・・・)の拭き方が少しでも甘いと、冗談抜きでTバッグのギューンのところに残り糞が付着しやすいのである。

体質なのか何なのか、ウォシュレットを用いても、もうトイレットペーパーにブツ(歪)は付いてないなと目視しても、次に用を足すときに見ると、何故かTバッグのギューンのところに残り糞がカムバックしているのである。それは誠に鮮やかな栗色にございます。

更には時間の問題ではないということが実証済み。仮にアナルとギューンの摩擦運動があまりに長時間だというならば、わからんこともない。しかし5分後くらいにギューンを見るといるのである・・・ブツ(y)が。

わかりやすく例を使って解説してみるが、例えば糞(ブツの居直り表現の一つ)と「だるまさんがころんだ」で勝負してみるとする。

すると「だーるーまーさーんーがーこーろーんーだっ!」というだるまコールを、私がいくら早口で言えども、私の糞は私のギューンを確実にタッチしてくるのである。

何なら「はじめの一歩!」からギュンギュンに距離を詰めてくる始末。それはもう一歩という概念を超えはじめ、もはや立ち幅跳びとかなのである。糞の一歩、まじアナどルなかれ。

そんなときに出来ることといえば、ムキになってアナルをゴシゴシ拭きまくることのみ。そして仕上げにウォシュレットを使用すると、必ずといって良いほど便座の後方に水が飛び散り、ビチャビチャになるのが常。もう散々である。

しかしながら悲劇もここまで。糞の終わりに、トイレットペーパー片手にごしごしアナルと便座を拭き、何度も何度も手を往復させるサマ。もはやそれは、DJ マチ子、爆誕の瞬間なのである。プチョヘンザっ!(put your hands up!)ではない。拭こ便座っ!の方である。

糞のたびに狭い個室はたちまちパーティー会場に、便座はやや穴ぼこのあいたターンテーブルかの如くスクラッチ

そしてキレの悪い糞は、切れ間のないDJミックスとして再現可能。DJ マチ子は0.5坪プレイヤーの名を欲しいままに、今宵、前座でだるまが転んでいる隙に、便座でワンマンライブが成功するのである。ヘイ、ホーォ!

 

しかしながらここまで書いて思うのだけど、残り糞がカムバックしているのではなく、もしかすると私が糞を漏らしているのかもしれないなって。

そう思う奴はプチョヘンザっ!である。無駄に韻、踏んでみました。

今年もよろしく!(今年はもうちょっと更新したい!)