セフレとの5年間
みんなごめんな。
— ミドリ@ゲスエロブロガー (@midomidoxxxx) 2018年10月20日
今週末、遠路はるばる九州からえげつないセフレが来るから、ちょっと抱かれてくるな。
マジすまんな。
下半身からのマグマ噴出により、延期となりました事をここに報告いたします。
— ミドリ@ゲスエロブロガー (@midomidoxxxx) 2018年10月22日
型式としては、流動性が高いストロンボリ式噴火である。
尚、予定は未定。
今週末、セフレと会う予定だった。
彼とは大学在学時からもうかれこれ約5年来の付き合いで、少なくともお互いにその5年間特定の人はいない。(はずである。)
遠方に住んでいるから滅多に会えないけれど、彼は糞こそ食わないが私の「狂気」の部分を気持ち良く受け入れてくれる、大変珍しい人材なのでとても重宝している。
この5年間、彼からは
「おはよう」
「今日は仕事でこんな事がありました」
「そちらはお変わりありませんか」
「おやすみ」
などと言った連絡(ライン)がほぼ毎日のように届くが、私はほぼ毎日のように返したことが無いでいる。
気味が悪いので。
それなのに
「今月末、行けそうです」
とか
「突然ですが、今週末、どうでしょう」
とかいうラインが届くと光の速さで
「幸甚に存じまする」
とか返信しだすので、改めて自分狂ってんな、と思う。
しかし今回は私が、生理になってしまった。
日にち的にちょっと危ないかも、とは分かっていたけれど、これじゃあ仕方ないね・・・と思い、これまでもこんな事は何度かあったから、すぐさま
「すみません。生理になってしまったので別日に変更願います。」
と、スマホに登録してあるテンプレで返した。
私の住む場所からはとても遠い九州からわざわざ来てもらうのだから、生理になったらまず、一秒でも早く、ナプキンを変えるよりもこうして彼に連絡を入れるのが、彼に対して私が出来るたった一つの事であって、私流の礼儀なのである。
じゃないと、その一秒の間にチケット取っちゃうかもしれないから。
すると、今回は状況がいつもよりだいぶ違った。
「それでも良いから会いましょう。」
と来たのだ。
続けて
「もちろんホテルではありません。
どこかで美味しい食事を、ご馳走させてもらえませんか。」
正直面倒だな、と思った。
気味が悪いのでいつもの無視でキメようかと思ったけれど、ふいに、もしかして先方に特定の誰かができたとかで、更に今回でお別れなのだとしたら・・・?
と、思ってしまった。
なんせ5年もたつと、お互いいい歳なので。
ならば、5年も一緒に過ごしてくれたお礼だけはちゃんと言ってから終わりにしたいので
「ほう。それは何故でしょう。」
とだけ返した。
すると、返ってきた返事はこう。
「5年目にして、やっぱり君の目を見て話したい事が、山ほどあります。
君は自分の事をあまり喋りたがらないから、僕は未だに君の事をあまり知らないでいるけれど、僕は君に僕の事を沢山知ってほしいという気持ちが、何故か今になって溢れます。
今まで約5年間、我慢してきた気持ちに、狂いそうです。」(原文ママ)
お前は小説家か何かか?と思った。
どうぞ気の済むまで大いに狂ってくれ。
正直とても憂鬱になった。
お互いにセフレであるのだからそれ以上のものは望んでいないし、大体セックスがなければ、こちらとしては話もない。
そういうドライな関係が、とても気に入っていたのに。
なんか5年目にしてそろそろ潮時かな・・・とも思う。
突然にこういう事を言われると、感情がひどくもつれて心の重心の置き場がてんでわからなくなる。
自分の意思とは関係なく感情がグラグラと揺れ、渦を描き出し、更には細かい霧のように拒否感ばかりが身を纏い、漂う。
そして、人をうまく愛せない自分に対し、恐ろしいほど自己嫌悪を抱く結果となる。
感情が動き出すと、否が応でも自己に向き合わなければならない羽目になるから、それを恐れる私はお願いだから余計な事を言わないで欲しいと願った。
互いに笑い合ったりしたことも勿論あったけれど。
でもあくまで私達の足元には「セックス」という文字が影となって、この5年間変わらずに付いて来た。
むしろそれが無ければ到底5年も続かない、極めて脆い関係のはずだった。
何も得るものがない不埒な関係は、日常を乱さないし心をエグらない。
甘さも酸っぱさもないけれど、余計な感情がない分、熱い刹那に打ち込める。
むしろ自分がセックスをするとなると刹那に狂いまくるので、日常まで寄り添う余力などが極めて残されない。
本当に「お腹いっぱい」になりごちそうさまとなってしまい、しばらくは顔も見たくない。
むしろとっとと帰ってくれとも思う。
話などない。
くだらない退屈に付き合う余力など、更々持ち合わせてはいない。
遠路はるばる九州から来てもらっても、尚こういう事を思うのだから
「性悪淫乱」
とは、まさに自分の事だと思う。
いつだって、嫌われる準備は出来ていた。
思えば元彼に振られたのも、こういう所だと思う。
雑に捨てられた、とか言う割に、そもそもが自分が、愛の意味を履き違えて雑に愛していたのだと思う。
人といればいるほど、感情が日常に食い込む。
感情が動く事に耐えられない私はいつも、夢の中で空足を踏むような焦燥感に向き合う羽目になる。
だから砂を噛むように無味乾燥した毎日を、あえて生きていきたいなと思う。
一緒にいる時間が愛しい、愛しているという気持ちの反対側には、必ず、もっと会いたい、寂しいという気持ちが頼りない護身服のように纏わりつく。
むしろそれがいつしか鎧となって、耐え難い寂しさに変わり、いつの間にか拭えなくなる。
簡単に脱ぎ捨てられなくなる。
そしてその鎧の重さに耐えられなくなった時。
その時が、私が狂い出す時だと思う。
だから私は楽しい、愛しい感情など何もいらないから、それと引き換えに寂しい感情はもっと抱きたくないなと思う。
それですら「人に振り回される」と思ってしまうから、救いようがないなと思う。
私は人への愛情の示し方がわからない。
恐らく思い切りのめり込んでしまうので、それで「重い」とか言われた日には、多分超絶死にたくなってしまう。
即刻屋上へ駆け上がり、ポンだ。
身投げである。
だから、こう、一緒にいる時間だけ、同じ温度で熱い刹那を分かち合い、普段は街かなんかですれ違ってもお互いに知らんぷりみたいなのが、性に合っているしこの上なく心地良い。
これに勝るものはない。
今自分の出せるパワーと、それと同等の愛の受容のバランスが、限りなくとれていると思う。
そうじゃなきゃ、恐らく自分が自分じゃいられなくなる。
見境なく愛してしまいそうで、恐い。
自分の持てる全ての愛情以上に愛してしまいそうで、いつか自分が壊れてしまいそうで、恐い。
きっとそれはエゴでしかない。
嫌われるのが、怖すぎる。
だから私は風俗嬢だった時も、そして今も刹那ばかりを愛すのだと思う。
どうして良いかわからず返信出来ずにいると、今度は
「もし今週末それで会えるとしたら、僕としてはすごく嬉しいけど。
でも今週末でなくても良いので、一度考えてみてほしいです。
いつでも良いので、いつものように返事を待ちます。
そしてもし、また君に会えるとすれば、僕は今度こそ君に伝えたいことがあります。」
と、来た。
いよいよ私は、わからないでいる。
まさか知らぬ間に、自分がここまでリスキーな選択をしていたとは。
甘美と引き換えの、終わらない悪夢のよう。