生煮えの感情と、甘美に火照るチョコレート
それはまったく温度差の違うチョコレートが混ざり合うような、粗い口当たりにしかならないいびつな思いだったのだと思う。
単一方向に溢れ出る稚拙な感情はたぶん、一生届くことがないし、更に言えば自分には相手の思いを受容できるほどの度量も無かったのだなと。
今更後悔しても仕方ないのだけど。
煮えたぎる熱い情炎を抱えながらも、何故か到底触れられず。
極めて繊細に、沸点を越えていくような荒々しいことは決してしない。
体温よりも若干高い約45度でゆっくり溶かし、ムラなく混ざり合うことを私も望んでいたのだけど。
だけど、どうしてもそれが出来なかった。
粗末極まりない私から発信される「愛」はどこまで行っても稚拙で、言うなれば底辺を這うような憐憫な出来。
まるで温度差を分かり合おうともしない粗暴で手荒な「情」は、愛にも、ましてや恋にもなりきれずに、狂気になるか凶器になるか。
はたまたそれは、心の底に澱(おり)となって消火(消化)出来ずに沈んでいくしかない。
そしてついに愛想を尽かされたとき。
それはテンパリングに失敗し組織の粗くなったチョコレートのように、硬く凝固した彼の気持ちをただ受け入れることしか出来なかった。
最後に言われた言葉はこう。
「これだけ頑張っても、何も伝わらないんですね。」
本音を言えば否定したいけれど、彼から見たらまったくその通りだったのだと思う。
咄嗟に言い返したいことだって少しはあったけれど、でも彼の気持ちを思うと返事さえできなくて。
とても言葉にならなかった。
それは逃げなのか。自己保身なのか。
すりガラスを必死に覗くような、まるで掴みどころのないこもった感情。
ズルいと言われればそれまでなのだけど。
だけど何を言ったところで、挙げ句「ごめん」と一言謝罪したところで、全ての言葉が凶器にしかならない気がして。
私が彼にしてきたことといえば、甘く繊細なチョコレートを濃く苦いブラックコーヒーで強引に流し込む。
甘味を苦味で上書きするような不均一な混じり方は、「分離」とも言い切れない。
それはまったく後味の残らない、極めて乱暴な「愛」だったのだと思う。
とても一緒くたには混ざり合えない、生煮えの感情しか抱けない自分を恨むことしかできない。
そして私は常に「誰かのためになりたい」とか「誰のことも愛したい」など、さぞかし最もらしいことを言っておきながら、いざ現実に心の重心の置き所を探してみれば
「愛し方がわからない」
そんな幼稚で愚かな理由で、常に彼の心を乱暴にかき乱していたのだなと。
どうしても真正面から受け入れることが出来なくて。
とても怖かった。
それは彼を否定するわけでは決してなく、上手く愛せない自分自身に今更悍ましいほどの嫌悪を抱きたくなくて。
必死に隠していたはずの、片生な自意識が見事に露呈した結果だった。
なんとも無様なありさま。
思えばほろ甘い、甘美に火照るチョコレートのような人だったと思う。
気持ちが通い合う時には、滑らかに溶けたホットチョコレートのように、こちらの心まで温かく覆いつくしてくれるし。
すれ違いが続いてみれば、凝固し分離していく冷え切ったチョコレートのように、たちまちこわばる。
過当(加糖)に心に沁みる、そんな原始的な甘みを含んだ彼の言葉は、いつも息を呑むほどに繊細で柔らかく。
淡つかな日常に注がれる華奢な声色の端々には、いつもなぞるように「愛」が紡がれていく。
それは幾度となく、存在し得なかったそこはかとない私の中の「愛」の機微に触れた。
でも何故なのか。
その甘さは、決して捉えることが出来ずすぐに消えていく。
反してほろ苦さだけが後味として残るのは、私の心が醜く歪んでいるからなのだと思う。
黒々と大口を開けた穴のような私の心には、彼のとても純粋な言葉では引っ掛かりがまるでなく、引きも切らずに手から逃げてしまう。
滑らかに溶けきったチョコレートは、ザルの目にさえこびり付くことが出来ず跡形もなく流れていくのと同じで。
それはたぶん、滑稽な自分の言い訳でしかないと分かっているのだけど。
例えばまったく違う種類のチョコレートが一揃いに混ざり合い、一つの「個」として分離不可能になってしまえば。
それはただの依存なのか。
はたまた共存なのか。
そんなことも分からない稚拙な愛情は、「凶器」にしかならないことを知った。
「無理言って。
無理言ってくれたら会いに行く。
1時間でも2時間でも。」
互いに時間がまったく合わなかったことに対し、そう言って彼が送ってくれたLINEは未だに残っているのだけど。
その気持ちをもっと大切に出来るような人間だったなら、今頃どんなに良かったか。
おざなりにしていたわけではない。
愚弄していたわけでも決してない。
けどそんなことすらどことなく人ごとのように言えてしまうのは、私がひどく冷淡で愚劣な人間だからなのだろう。
「これだけ頑張っても、何も伝わらないんですね。」
そう言われても当然だと思うし、言われない方がおかしい。
愛を委ねる気持ちの反対側には、必ず見返りを求める自分がいるし。
でも「抱きしめたい」と思う気持ちに、嘘偽りはなかった。
それが例え、ゴミ箱のようでもいい。
どんなに汚くても、どんなに乱雑でも、混ざり合うことさえ出来ているのならそれだけで十分だと思っていたはずなのだけど。
でも現実は、すれ違いの末に無秩序に散乱する感情を、拾い集めて片付けることさえ出来ない。
愛の責任の所在をどこかに忘れているのか、そもそもそんなモノは更々持ち合わせていない愚劣な人間だからなのか。
そんな自分勝手な女だから呆れられたのだと思うし、傷付けることしか出来なかったのだと思う。
せめて最後、「好きでした」とは言ってほしくなかった。
「これだけ頑張っても」
そう彼が自分で言ったように、それまで彼にしてもらうことの方が多かったにも関わらず限りない不満しか言えない自分に、限りない憤懣(ふんまん)をぶつけてくれたらそれで良かった。
彼が最後に言った「好きでした」の言葉の刃にはギザギザで鋭い「かえし」がついていて、なかなか胸から抜け切れない。
抜いてしまおう、忘れてしまおうと思えば思うほどに「かえし」で胸がエグられていくようで、痛みに耐えない。
それほどまでに、最後になってやっと彼の気持ちが心に突き刺さり離れなくなった。
「ごめんなさい」と「ありがとう」の言葉。
彼にはたぶん、もう一生言えないのだけど。
しかし彼の残像を求めだす前に終われて良かったのだと、この期に及んでまたもや自分を可愛がり保身に走ることしか出来ない。
甘美とは、甘くて美しい。
それはチョコレートのような彼そのもので、いつだって心に一種の美しさと弛む甘さを添える。
そして時折、エグみはないけど甘さが過ぎる。
のどが焼けるように甘くて熱い、だけどたおやかな愛情はとても愛おしい。
ただ、私がチャチで不寛容で。
言い訳をするなら、彼はあまりに度量がありすぎて。慈愛に満ちていて。
私はそれを受け入れられる大きな器ではなかったのだということ。
例えば、私の舌に媚びる、あざとい甘味なチョコレート。
それは市販のインスタントなチョコレートだけど。
私の「愛」の機微に触れる、美しいたおやかなチョコレート。
それは彼そのものな唯一無二のチョコレートだった。
そしてここに残るのは、チョコレートに反して溶けがたい、切なく苦い後味を含んだ後悔ばかり。
やり場のない悔恨は、カカオを多量に含んだチョコレートのようである。