みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

欲望に狂う男は、美しい。

人の欲望っていうのは、時に美しく、時に毒々しく、そして無極だ。

 

情熱的なまでの刹那を抱え、しかし時として残酷なものへと変貌を遂げる。

 

そして皆、それぞれ色んな欲望を抱え、それぞれの欲望を生きている。

 

 

私の最も気色の悪い(と、他人からは思われるような)趣味の一つに、「人間観察」というものがあるのだけれど、私の「人間観察」は一般的なそれとはちょっと違うように思う。

 

私が人を観察するとき。

そういう時は大抵色んな欲望を重ねて見ていることが多い。

 

 

風俗業界もある程度長いと、色んな欲望に驚かされることが多々ある。

きっと風俗嬢にならなければ一生知り得なかった、「こんな欲望」や「あんな欲望」が、この世に存在するのか・・・!と衝撃の日々。

まさにクレイジーだった。

 

だがしかし、戸惑っている場合ではない。

お金をいただいている以上、誰が何と言おうとこちらは「プロ」であり、お客様の欲望に応えるのはまさに「使命」であるからだ。

 

必死だった。

 

お客、いや、人の欲望っていうのは、容赦がない。

金が絡んでいれば、尚更だ。

 

こちらが戸惑っていてもお構いなしに、いつも目の前にあるのは「おちんぽ」。

戸惑いながらでも、例え今置かれている状況に疑問を抱いたとしても、そこにあるおちんぽはしゃぶらなければならない。

 

毎晩何本も咥えるのが当然の事になり、そろそろおちんぽがおちんぽに見えなくなってきた頃、ふと私は男性に対して底知れないほどの好奇心と、強い探求心を持っている事に気が付いた。

 

知りたい。

もっと応えたい。

そして全てをぶつけて来てほしい。

 

何なんだ、この感情は。

 

 

 

欲望をさらけ出すなんてのは本来、羞恥が激しくこみ上げるに等しい行為だと思う。

卑俗だと言われかねない。

こと日本人の感覚で言えば、それこそ「美学に反する」のだろう。 

 それは「ダサイ」の一言に尽きる。

 

だが私は風俗嬢という特権を得て、毎秒毎時毎晩、男性の欲望を眼前にし、ともすると一番身近な「特定の誰か」にすら見せたことのない、素直なまでに乱れ悶える姿を見ていられるのだ。

 

何なら、自分がその境地へ導くことだって大いに可能だった。

 

これは楽しい。

 

本来ならば一般社会で暮らしていれば、私のような小娘じゃ、一生かかっても口も聞いてもらえないであろう上位陣の方が、私の前に四つん這いでケツを突き出し、そのだらしないケツの穴をヒクヒクさせながら

「お願いです、イカせてくださいぃぃぃ・・・」

と、懇願する。

口を聞くどころか、更に目を潤ませ懇願をしているのだ。

 

これは楽しすぎる。

金の他に、こんなボーナス特典があるなど思いもしなかった。

 

欲望を前に、人は社会的地位すらも霞み始める。

何もかもが、欲望には逆らえない。

 

そして欲望に狂う男は、この上なく美しい。

 

 

私は、その懇願する姿の後ろに、その人の人生を重ねてしまう事が多々あった。

 

こんな姿を見たら、配偶者、子息、部下はどう思うのだろう。

はたまたその威厳に満ちた姿から、誰がこのような事態を想像できるだろう。

そして、どんな人生を送ってくれば、このように毒に満ちた欲望を抱けるのだろう。

 

狂ってる。

 

しかし。 

美しい。

 

そして。

愛おしい。

全てが、愛おしい。

 

金のやり取りはあれど、自らの欲望を羞恥と思わず、躊躇せず、全てをさらけ出せる人間が、私は大好きだ。

そしてその欲望を全て委ねてくれるお客を、私は心から愛していた。

自分の持てる全ての愛情で、一切こぼれてしまわぬよう、五感を最大限に使い、包み込んだ。 

 

あぁ、愛おしい。

全てが、愛おしい。

 

足りない。

もっと。もっと欲しい。

お願いだから、もっとぶつけて来てほしい。

せめて今この瞬間だけでも、あなたの全てが欲しくて、たまらない。

 

何なんだ、この感情は。

 

 

相手が私に心を開けば開くほどに、私はそのぬかるみから二度と足を上げられなくなる。

もがけばもがく程に、どんどんと身体は沈み込み、気付いた時には泥臭い欲望に頭まで浸かってしまっている。

しかしここまで来たのなら、泥に溺れて窒息するのも大いに結構。

そしてもう二度と、目覚めたくはない。

 

そう思って迎えるエクスタシーは、身体の芯が一気に溶け出し、まさに恍惚の境地であった。

 

毒に満ちた欲望には、そんな魔力が潜んでいるからこわい。

その成れ果てが、これ(私)だ。

 

 

例え初対面でよそよそしかった二人も、一度密室で互いに欲望をさらけ出し、ケツの穴さえ舐めあえば、帰る頃にはきっとどこの男女よりも私たちは理解し合えている。

誰にも見せた事のない姿を、あなた(私)に見せたから。

もしかしたら、共犯者にでもなったかのような心やましささえ残るが、それは自滅ではなく精神的なプラトニック・ラブを意味するものであった。

 

ひょっとしたら明日には、顔すら覚えていないかもしれない。

そして10分後には他のお客に抱かれているくせに、そう錯覚してしまうほどにチープな関係も、時には心地良かった。

 

そして世間には大いに批判されるであろう、刹那的でなければ埋められない感情が、確かに存在することを知った。

 

互いの欲望が見事なまでに混ざり合い、何故だか深い郷愁に駆られる事も、少なくなかった。

欲望は、私を子供に返した。

 

本能のままに欲する事を禁じられた幼少期を、今ここで取り戻すかのように、私は狂った。

 

地団駄を踏み、何かを欲しがる子供と同じように、底知れぬ欲望を必死にぶつける男達。

私はそういう男達に、幼少期の頃の自分を、間違いなく重ねていた。

 

そんな男たちを、受け止め、包み込む。

 

その度に、私は幾度となく救われていったように思う。

 

 

 

欲望は毒々しいほど美しい。

渇きかけた欲望が最後の死水を求め、ドロドロと渦巻いているほど、燃える。

激情に駆られ、震える理性を、私はいつだって抱きしめた。

小さな子供を、壊れそうなくらいに小さなその身体を、「大丈夫よ・・・」と、そっと包み込むかのように。

 

 

そして今日も私は、人を観察しては

「あの人はどんな欲望を抱えて生きているのだろうか」

と、数々のドラマを頭に浮かべ、密かに想像するのが堪らなく楽しみなのである。(相当なゲスで本当にすみません・・・)