みどみどえっくす

元NO.1風俗嬢がゲスに真面目にエロを語る

何故か雨の日には、決まって自分の深層に触れるように思う。

今週も、週末がやってきました。

先週くらいの記事で私は

 

私が運営しているこの弱弱小小ブログは、いわゆる連休ですとか、週末っていう時にはえげつないまでにPV数がガクッと減るんですね。

で、平日になるとまた戻ってくるんです。

私はこの現象をリア充民による気持ちいいまでの圧倒的手のひら返しと呼んでいるんですけれど

不良品でハミ出し者なら、潔く散れば? - みどみどえっくす

 

と申しましたけれど、今週も例に漏れずそれなので、今日の記事も例に漏れず”屑”に選り分けしておいて、感情の垂れ流しコーナーですわ。

 

よって、いつもに増して有益なものは一切ございませんが、どうかお付き合いくださいませ。

 

 

 

日中、突然実の父親のことを思い出しました。

 

ちょうど「台風来るのにウチのお菓子無くなっちゃったなぁ〜。買いに行こうかなぁ、雨だしなぁ。やること無くなっちゃったなぁ。どうしようかなぁ〜(やることないなら#ブログ書け)」とぼんやりしていた時でした。

 

手持ち無沙汰になると、急に嫌な事ばかり頭に浮かんでしまいますね。

だから、いつもせっかちに過ごしてしまいがちなんだと思います。

無職のくせに予定や用事だけは多いしさ。(もちろん収入はゼロ!!)

 

 

昔、何年か実父と暮らしていた事がありました。

実父と暮らし始めて半年が経った頃、私は実父に「お前には思いやりがない。人を思いやるっていう気持ちが全くない。いつもいつも自分の事ばっかりだ。お前は家族っていうのを全くわかっていない。お前にとって家族って何なんだ?!家族ってそんなに適当なものなのか!」と殴られたことがありました。

 

きっかけは私が腹をくだし、10分ほどトイレから出られなかった事が原因でした。

義理の母に「トイレに入りたいんだけど」と言われたのを「お腹が痛いから少し待ってほしい」と断ったことが実父の逆鱗に触れました。

 

その瞬間から実父に

・自分にとっての家族とは何なのか

・思いやりとは何なのか

をノートにしっかりまとめて、出来上がったら見せるようにと宿題を出されました。

 

私は小さな小さな頭で「大変な事になってしまったなぁ。義理の母はそこまでトイレに入りたかったのだ。それなのにトイレを占領してしまった。自分勝手な事をしてしまって、ごめんなさい。」と猛省しました。

 

私は必死に自分の心に問いかけました。

思いやりとは、本来何なのか。

家族って、どんなものなのだろう。

 

けれど、必死に考えれば考えるほど、答えは私を見放し嘲笑い、遥か向こうに遠ざかっていくようでした。

 

家族って、どんなものかわからない。

思いやりって、どんなものかわからない。

きっと周りの友達たちはちゃんとわかっているから、こんな事で叱られたりしないんだろう。

なんて自分はダメなヤツなんだろう。

どうしてこんなにクズなのだろう。

 

段々と段々と、少しずつ、自尊心が薄れていきます。

恐怖心、焦り、自責、色んな感情が心を押しつぶし、錯綜し、別の人格が生まれそうでした。

心の中の歯車から、一本、また一本と、次々に螺子が外れていきます。

 

必死に考えた結果をノートにまとめ、実父に見せました。

 

「お前はやっぱりダメなやつだよな。やり直し。」

「完成するまで、寝るなよ。」

 

まるで臭いドブを見るかのような湿気を孕んだ目つきでこちら側に目線を向けますが、目も合わせてもらえません。

 

二日ほど、寝ない日が続きました。

春休みを、恨みました。

 

とうとう、実父には呆れられてしまいました。

とうとう、自分はいよいよダメなヤツになってしまった、と暗然たる思いに極々沈み込みました。

 

そんな事を思い出したわけですけれど、当時の出来事は自分の中では随分とショッキングな出来事であり、自分の価値観を掻暮れ変えてしまうような出来事でしたので、これまでも何度か思い出してはいましたが都度行き詰まり、やっぱり自分はクズなのだ、と懊悩としていました。

 

けれど、初めて今日は当時の自分に向き合って、慰めることが出来たように思います。

 

いやいや、一歳で母親が自殺してさ、あなたは私を祖父と祖母に預けたまんま行方くらましてさ。

やっと自分のお父さんと暮らせると思ったら、今度は虐待やネグレクトの日々。

そんな中で、家族が何か、わかると思う?

思いやりが、わかると思う?

逆に教えてくれよ。家族って何なのか、思いやりって何なのか、私に教えてくれよ。

 

と思い、泣きました。

割かしスッキリしました。

 

あの当時、家族について、思いやりについて、考えても悩んでもわからなかったのは、あなた(私)がダメだったからじゃないよ、と私は自分の心の中にいる幼い私をやっとの思いで慰めました。

 

 

 

 

 

恩は石に刻め 恨みは水に流せ

 

こう、私の場合、何年も経ってから気付く事って非常に多いですね。

実父との事については、当時は思考回路が完全にショートしていたので、もしかしたら全てがそうかもしれません。

その度に子供の頃の自分と向き合い、自分の事を丁寧に慰めて、少しずつだけど救われている気がします。

 

「泣く」っていうのは、いいですよね。

私の好きなアニメの一つに「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメがありますけれど、その中で「葛城ミサト」というキャラクターが「風呂は命の洗濯よ」というシーンが何度かあります。

私はそのシーンを極めて好んでいで、自分にとっての「命の洗濯」とは「風呂に入ることと、泣くこと」だと思って生きています。

 

割かし泣けるようになったのは最近の事なので、そういう感覚を今は大事にしていきたいな、と。

 

私の場合、抱いている恨みというのは涙と共に流れているのではないかなぁと思うんです。

泣きながらでも自分を慰めてあげられる境地に達した時に、同時に恨みも流れている。

ような気がしています。

 

 

 

話は変わりますけれど、今日悲しい事や嫌な事があったって方、います?

 

ごめんなさいね。

突然、野暮なことを聞いてしまって。


でももしいらしゃったら

社会の底辺も底辺、貴方からは見えないくらいもーっと下の、その更に更に更に下の方。

そこに、うんこ食って生きている私が、いますよ。

こんな奴もいて、しかも今日も、元気ですよ。


だから俯いていてもいいけれど、せめて綺麗な石ころ見つけて歩きましょうか。

犬のうんこ、とかじゃないですよ。

綺麗な石ころ。

 

ご自愛専一のほど、よろしくお願いいたしますね。


では、また〜。